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東京高等裁判所 昭和35年(う)1663号 判決 1960年10月17日

被告人 関口吉衛

主文

本件控訴を棄却する。

理由

弁護人の控訴趣意第一乃至第六について

原判決書によれば、原判決がその理由中罪となるべき事実として業務上過失致死罪の有罪事実を認定判示していることが認められる。

これに対し所論は、要するに、(一)原判決は、同一方向に向う自転車を追い越す場合被告人は警音器の吹鳴義務、自転車を進路から更に左側に避譲せしめる義務、その他交通の安全を確認する義務をすべて怠つたように認定しているが、原判決挙示の証拠からは到底かかる認定はできない。被告人は右自転車に乗つていた被害者を発見後、直ちに警音器を鳴らし十分警告を与え被害者を左側に避譲させたことが明らかで、原判決中「被告人等の主張に対する判断」中「警音器の吹鳴が被害者に対する警告として徹底したかどうか疑わしい」と説示しているが、吹鳴したのは三秒前であるから徹底しなかつたというのは経験則に反する。右警音器を吹鳴し乍ら進行したところ、被害者が左側に寄つたので避譲と考えるのは当然であつて、更に被害者が右折することを予見することは不可能であり、かかる不可能なことを予想せしめて被告人に自動車の運転を命ずることは酷である。また原判決は、「被告人等の主張に対する判断」中に「被害者が道路左側に寄つたのは警音器による左寄りかどうか明らかでなく、これを認めるに足りる証拠はない」と説示しているが、右は被告人に無過失の立証責任を負わせたもので違法である許りでなく、本件記録中被告人の警笛の吹鳴により被害者が左側に寄つたとの証拠は多いから、原判決には理由の齟齬があると共に採証の法則を誤つた違法がある。(二)原判決は、証拠として実況見分調書を挙示しているが、該調書の記載によれば、被告人の自動車が右調書添付図面<1>点から<2>点迄走る間に、被害者の自転車が<A>点から<B>点まで進行したことになり、その距離は殆んど同じでその各速度からみて不合理な結果となる。これに反し、差戻前の原裁判所の検証調書には、かかる不合理はない。原判決は漫然互に矛盾した証拠を挙げて事実を認定しているのだから、理由不備の違法がある。(三)原判決は、本件事故当時の自動車の速度を時速五十粁以上と認定しているがこれも採証法則を無視し事実を誤認したものである。成程被告人の司法警察員に対する供述調書には、五十粁以上で走つた旨の供述記載があり、検察官に対する供述調書には、スリツプから逆算して時速七十粁以上で走つた旨の供述記載がある。前者は、被告人が初めて人身事故を起し被害者が重態であると聞き気が転倒していた際、深夜に亘る取調のため、取調官に誘導されるまま認めたものであり、後者は、実況見分調書に時速五十粁でブレーキをかけ試験したところ十七・五米のスリツプ跡を残したとの記載があるので、検察官から押しつけられた供述で、右は被告人提出のパンフレツトの記載にも反し、また右ブレーキ試験については何等の裏付もない。而も、原判決の時速五十粁以上とは何粁を指すや不明である。結局原判決には証拠なくして時速五十粁以上と認定した理由不備があると共に証拠の採否を誤つた事実の誤認がある。(四)原判決は、被告人は被害者が右のとおり一時進路左側によつたので危険なきものと軽信したと認定している。成程本件現場の先には右方に通ずる新道路があるが、右新道路は、未だ工事中でこれを識別することの困難な情況下にある。かかる情況の下に、後方から進行して来た自動車の警笛を聞き、一旦左側に避譲した自転車に乗つた被害者が何等の合図をせず、後方の交通の安全を確認せず、突然右折せんとするは余りにも無謀であり、後方から進行して行く被告人にこれが予見のできないことは当然であつて、被告人には何等過失はない。原判決はかかる不能の予見を強いるもので明らかに違法である。(五)原判決は、また被告人が被害者の自転車を追い越す際、減速すべきに拘らず漫然同一速度で進行した過失ある旨認定しているが、本件道路は、京浜第一国道であり、珍らしく交通量の少い時であつたので、道路の中心線に沿つて進行していた被告人の進路には何等危険を感じさせるものがなく、追越すべき自転車も左側に避譲し、その間隔も十分ある情況下に於ては、自動車運転者として減速して追越すべき注意義務のないことは社会通念上明らかである。本件道路は高速度道路であり、被告人は警音器を吹鳴し被害者を避譲せしめているのだから、被告人には何等責むべき点はなく、減速する必要のないことは云うまでもないところである。(六)被害者は自転車を操縦するに際し、交通法規を無視し、何等右折の合図もせず、後方から進行して来る自動車の有無をも確めず、斜に自動車の進路に飛び出して来たものである。被告人は、被害者の右折を認めるや直ちにブレーキをかけ、ハンドルを右に切り、衝突を避けようとしたが、スリツプの途中で、被害者の自転車と接触したもので、何等の合図なく自動車の進路直前に飛び出されては事故を避けることは到底不可能である。従つて仮りに被告人に制限速度超過による過失があつたとしても、右過失と本件事故とは因果関係がない。原判決は被害者が右側新道路に向つていたから、被告人に予見可能である旨説示しているが、被告人が被害者が右に向つているのに減速せずに突込んだと云う証拠はない。

以上のとおり本件に於ては、被害者の過失こそ問題で、被告人には何等過失がなく、被害者の無謀且つ自殺的な自転車の操縦により事故が惹起されたものであつて、原判決は証拠によらずして事実を判断したものであり、かつ、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認の違法があると云うに在る。

よつて案ずるに、原判決認定の事実は、所論の諸点をも含めて総てその挙示する証拠により優にこれを肯認することができるのであつて、記録を精査検討してみても、所論被告人の警察、検察庁に於ける供述が任意にされたものでない疑は認められずこれ等挙示の証拠によれは、被告人は、自動車運転者として、原判示自動車を操縦し、原判示京浜第一国道上を横浜方面から東京方面に向け時速五十粁以上にて進行し、前方右側に広場ようのもののある原判示場所に差蒐つたところ、自己の進路前方四十数米の附近に自転車に乗り同一方向に向け進行中の大貫由松のいるのを発見し、これを追越そうとしたのであるが、一般にかかる場合には、右自転車に乗つた人が後方からの自動車の進行に気付かず、時に進路を右側に執り、道路を横断することのあることは、往々見受けられるところであるから、自動車運転者である被告人としては、右の場合警音器を十分吹鳴して前示大貫由松に警告を与え、同人を道路左側に避譲せしめることは勿論、同人の動静に注意し、臨機の措置を講じ得るよう自動車の速度を減速した上、両者の間隔その他交通の安全を確認してこれを追越すべき業務上の注意義務があるのに拘らず、警音器を十分吹鳴せず、右大貫由松が一時進路左側に寄つたので危険がないものと軽信し、漫然同一速度で進行したため、偶々同人が被告人の運転する自動車の進行に気付かず、道路右側に寄つて来たのを発見し、急停車の措置を執つたが及ばず、同人の後方から自動車を追突させ、同人を傷害死に致したことを認めるに十分である。従つて、警音器の吹鳴が被害者大貫由松に十分徹底しなかつたことが明らかであり、また、同被害者が道路左側に寄つたのは、後方からの自動車を避譲したものでないことも明白であつて、これを避譲したと思つたのは、被告人の軽信であるといわなければならない。それ故、原判決が被告人等の主張に対する判断中「警音器の吹鳴が被害者に対する警告として徹底したかどうか疑わしく、被害者の左寄りが警音器による左寄りかどうかこれを認定するに足る十分な信憑性ある証拠がない。」と判断したのは当然であつて、原判決には所論のような理由のくいちがいはない。本件事故発生当時の交通情況その他所論右側新道路の発見不可能の情況に拘らず、道路前方右側に広場があるのだから、被告人は、自動車運転者として被害者が被告人の自動車の進行に気付かず、道路を横断すべく右側に寄ることのあることは、当然予想されるところであつて、これを以て予見不可能な注意義務を負わしめるものと云え得ないし、なお当然予想されるところであるから、制限速度を超過して時速五十粁以上の速度で走ることなく、臨機の措置を講じ得るよう速度を減速して運転すべき義務あることも当然であつて、若し、被告人に於て、速度を減速していたならば、被害者を四十数米前方で発見したのだから、なお距離的余裕が存し、所論のような被害者に過失があつたとしても、本件事故を避け得たものと云うべく、従つて、右義務違反と本件事故の発生との間に因果関係のあることも明白である。

而して、所論実況見分調書その他諸証拠のうち右認定に牴触する部分は、原判決が他の証拠に照らし証拠として採用しなかつたものと思われ、証拠の間に所論のような理由のくいちがいはなく、またこれが採否につき採証法則違反の点も発見できない。その他記録を精査検討してみても各所論の主張を認めて原審の認定を覆すに足らないから、原判決が挙示の証拠により原判示事実を認定したのは正当であつて、原判決には、所論のような証拠によらずして事実を認定した違法や、理由の不備、齟齬、その他判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認はない。論旨は理由がない。

よつて、本件控訴は、理由がないから、刑事訴訟法第三百九十六条によりこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 山田要治 鈴木良一 伊藤顕信)

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